R.U.S.E.研究室

エーリヒ・フォン・リヒター

 リヒターはドイツ軍の将校で、シェリダンのライバルとなる男である。最終的な階級は、陸軍元帥。シェリダンの古い友達。

 「プロメテウス」からの正確な情報を元に、卓越した指揮と戦術で連合軍からも「名将」として知られる。

北アフリカ戦線

 ロンメルに従ってドイツ・アフリカ軍団を指揮している。キツネを引っぱり出せウェザビーシェリダンのアメリカ軍、モントゴメリーのイギリス軍の前に立ちはだかり、ウェザビーとモントゴメリーの部隊を壊滅寸前まで追い込んだ。

 シェリダンはリヒターの部隊を見て中央が手薄であると判断してシディ・ブ・ジットの司令部を強襲したが、それはリヒターの罠だった。リヒターはシェリダンの部隊に攻撃を加えるが、シェリダンは辛うじてこれを撃退した。

 リヒターは撤退までの時間を稼ぎ、部隊の被害を最小限に抑えて撤退した。

イタリア戦線

 イタリアではモンテ・カッシーノの戦いで登場。ウェザビーシェリダンルドックの攻撃を受けて崩壊寸前にあったドイツ軍を立て直し、戦力を温存したまま部隊を退却させることに成功する。

東部戦線

 リヒターはその後東部戦線に赴任する。したがって、フランスやオランダでの戦いには参加しておらず、キャンペーンには登場しない。東部戦線でどの程度活躍したのかは不明だが、順調に出世していったことは間違いない。

ラインの守り作戦

 1944年12月、「ラインの守り作戦」のために西部戦線へと配置換えとなる。リヒターはラインの守り作戦を指揮し、ウェザビーを降伏させた。さらにリヒターが東部戦線に赴いているため油断していたシェリダンを、バストーニュに包囲した。

 リヒターは「敵を捕虜にする必要なし」という特別命令を受けていた。古い友人であるシェリダンのことを気にかけたリヒターは、バストーニュ近郊の森で会談を持ちかけ、シェリダンと部下の安全を保障するとして降伏を迫った。

 シェリダンは降伏を拒否した。リヒターは古い友人に、それは辞世の句(死の前に詠む詩)かと問うたが、シェリダンは否定。リヒターをクズ呼ばわりして去っていった。

 チュニジアからの古い友人に拒絶されたリヒターは、バストーニュを攻撃する。しかしシェリダンの抵抗により攻略は難航し、やがてパットンの指揮するアメリカ第3軍がバストーニュ救援に到着した。さらにモントゴメリーのイギリス軍も進撃してきたため、作戦は失敗に終わった。

 パットン、モントゴメリー、そしてシェリダンの攻撃を受け、空挺部隊に司令部を襲撃されたリヒターは、連合軍の捕虜となった。

 ゲームは終わった。シェリダンの勝ちであった。

ドイツの戦い以降

 その後リヒターは同胞をソ連軍の手から守るため、シェリダンに協力している。シェリダンケイトの暴走を止めることができたのは、リヒターの働きが大きい。

 リヒターの活躍は「プロメテウス」の情報によるものも大きかったが、彼自身は「プロメテウス」を信頼してはいなかった。

 ちなみに最終階級である陸軍元帥は、軍人としては最高位の階級である。基本的にシェリダンたちよりも偉い。とはいえ、アメリカ軍では元帥まで昇進した者はほとんどいなかったのに対し、ドイツ軍は元帥は20人近くいたため、一概に比較はできない。