名言の偉人たち
R.U.S.E.のロード中には、ヒントやマーフィーの軍事法則が表示される。その中に混じって、歴史上の偉人の言葉が出てくる。そんなちらっと名前だけ登場する偉人たちの紹介。
ナポレオン・ボナパルト
フランスの英雄ナポレオン。フランス革命の混乱を収束させ、オーストリアを破りエジプトに遠征。対仏大同盟を崩壊させると英雄となり、フランス皇帝となった。
その後もオーストリア、プロイセン、ロシアなどを破り、最盛期にはヨーロッパの大部分を支配下に置いた。ロシア遠征に失敗して失脚。その後復位するがワーテルローの戦いに敗れた。
ナポレオンは機動力を重視した戦術を得意として、数に勝る敵軍を各個撃破したり、陽動部隊を用いて戦闘に勝利した。
ガイウス・ユリウス・カエサル
古代ローマの政治家。英語読みでジュリアス・シーザー。
弁舌に優れ、民衆からの支持を背景にポンペイウス、クラッススと三頭政治を行った。ガリア(フランス)を平定して名声を高め、ポンペイウスと元老院派を排除し、エジプトとヒスパニア(スペイン)を破り終身独裁官となった。
政治制度の改革を行うが、ブルータスらによって暗殺された。
ホレーショ・ネルソン
イギリス最大の英雄。ナポレオン戦争時代の海軍提督。
アブキール湾の戦いでフランス艦隊を破り、ナポレオンをエジプトに孤立させた。トラファルガーの海戦では自軍の2倍近いフランス・スペイン艦隊を破り、ナポレオンにイギリス本土上陸を断念させた。戦闘中に狙撃され戦死。
ネルソンの乗船する戦艦ヴィクトリーはイギリス艦隊の先頭として敵艦隊に突入し、ネルソンは甲板に立って指揮を執り続けたという。勇敢な行動はイギリス国民に賞賛され、ロンドンのトラファルガー広場にはネルソンの記念碑が建っている。
アーサー・ウェルズリー
「アイアン・デューク」の異名をとる、ナポレオン戦争時代のイギリス軍人。初代ウェリントン公爵。イギリス首相。
スペイン・ポルトガル戦線でフランス軍を破る軍功を立て、ワーテルローの戦いナポレオンを破り、ナポレオン戦争を事実上終結させた。
謙虚な英国紳士であり、自らの戦果を大げさに語ることはなく、ナポレオンとは対照的だったという。
カール・フォン・クラウゼヴィッツ
プロイセン(ドイツの前身)の軍人・学者。
ナポレオン戦争に参加し、「戦争論」を著した。「戦争とは他の手段をもってする政治の継続である」が有名で、哲学的な思想が多く含まれ、戦争研究に大きな影響を与えた。
フェルディナン・フォッシュ
フランスの軍人。第一次世界大戦の連合国総司令官。「戦争の原則」「戦時統帥論」などを著した。ドイツ軍の猛攻を受けたときの言葉「我が軍の右翼は押されている。中央は崩れかけている。撤退は不可能。状況は最高、これより攻撃する」が有名。
ヴェルサイユ条約に対しては「これは平和などではない。たかだか20年の停戦だ」と言い放った。フォッシュの言葉どおり、20年後に第二次世界大戦が勃発する。
孫子
孫子の兵法で知られる古代中国、春秋時代の武将。「孫子」は敬称で、名は孫武(そんぶ)。呉越同舟の故事がある呉(ご)に使えていたとされる。
孫子の兵法は「戦わずに勝つ」ことが最上であるとして情報戦や謀略、奇襲を重視している。まさにR.U.S.E.のために書かれたといっても過言ではない。
日本では武田信玄の風林火山で知られる。
セクストゥス・ユリウス・フロンティヌス
古代ローマで水道長官などを歴任した政治家。古代ギリシャやローマの戦いをまとめた「戦術書」を著した。
宮本武蔵
江戸時代初期の剣術家。「五輪書」を著した。
三十六計
中世くらいにまとめられた兵法書で、中国で広く流通している。36通りの計略が書かれている。「三十六計逃げるに如かず」という故事が有名。