R.U.S.E.研究室

実在したダミー戦車

ダミー戦車

 1944年、ドイツ軍はフランス国内にスパイを配置してアメリカ軍の様子を探っていた。ジープの目撃情報に基づいてアメリカ軍部隊の配置を推測し、航空写真で動きを確認していた。そして、FLAK 88MMを用意してアメリカ軍の戦車部隊を返り討ちにする作戦を立てていた。

 ところが、情報はまったくのデタラメだった。

ゴースト・アーミー

 アメリカ軍には偽装作戦を専門に行う部隊があったのである。

 その部隊は「ゴースト・アーミー」と呼ばれた。正式名称は第23本部付特殊部隊。ゴースト・アーミーは約1000人で構成され、「通信」「聴覚」「視覚」の三つの部隊に分かれていた。

 「通信」部隊は実際の部隊のように連絡を行い、通信を傍受していたドイツ軍に偽の情報を与えた。

 「聴覚」部隊は戦車や大砲が移動する音を録音し、大型スピーカーで流してまるで大部隊が移動しているかのように偽装した。

ダミー戦車

ダミー戦車

 そして「視覚」部隊はダミー戦車を作った。

 ダミー戦車は風船で作られていて、重さはわずか42kgだった。風船戦車が置いてあるだけではおかしいので、地面にキャタピラの跡をつけ、戦車の音を流し、通信を行った。

 ライン川の戦いでゴースト・アーミーはアメリカ軍の空白部隊を埋めるという大きな役割が与えられた。わずか1000人のゴースト・アーミーは、3万人の大部隊を演じた。ドイツ軍はゴースト・アーミーの守備していた地域は防御が堅く、攻撃には適さないと判断した。アメリカ軍の手薄な地域へのドイツ軍の攻撃は、こうして防止された。

 ゴースト・アーミーの兵士は芸術家肌の人が多く、他の部隊とはだいぶ雰囲気が異なっていた。

 ある日、地元のフランス人が通りかかり、アメリカ兵が4人で戦車を持ち上げている場面に遭遇して仰天した。このとき、部隊の兵士はフランス人に対して「アメリカ人は怪力なんだ」と説明したという。